硬式野球部

野球部 1年生保護者会

投稿日2026/5/6

グラウンドを渡る風にも少しずつ熱が感じられるようになってきました。
今回は、1学年保護者会の様子をお伝えいたします。

この日、真新しいユニフォームに身を包んだ一年生たちと、その並走者である保護者の方々が集まった大講義室には、これからなにか特別なことが起こりそうな、心地よい緊張感が満ちていました。

話し手としてお招きしたのは、かつてこの場所でひとつの「神話」を書き上げた人物。甲子園という聖地へチームを導き、二人の少年をプロフェッショナルな世界へと送り出した――そんな輝かしい実績を持つ指導者、川俣幸一先生です。

しかし、先生が語った言葉は、バットの正しい振り方でも、鋭く曲がるカーブの投げ方でもありませんでした。それは、「野球場の白線の外側にある世界」と、人生という難解なゲームをどう生き抜くかという、静かな、しかし確かな重みを持った哲学だったのです。

■ ラインの外側にある風景
先生がまず口にされたのは、「フィールドのラインの外側」についてでした。白線に囲まれた内側でどれほど鮮やかにボールを捌こうとも、その外側にある日常――例えば礼儀作法や、他者への想像力――が欠けていれば、それは砂の上に建てた城のようなもの。プレイが始まる前に、選手はまず一人の人間として、自分を磨き上げなければならない。

■ 「素直さ」の本当の意味
次に先生は「素直であること」の本当の意味を説いてくださいました。それは単に相手の言葉にうなずき、無批判に「はい」と答えることではない。自分の間違いを認め、その苦い経験を栄養に変えていく能力のことなのだと。

■ 勝利を呼び込む「人間性」という引力
最後に、先生は勝負の核心に触れられました。トーナメントという冷酷なシステムの中で、自分たちより優れた才能を持つ相手に勝つにはどうすればいいか? 答えは、野球以外の部分で徳を積み、「人間としての密度」を高めること。そうして積み上げられたものは、土壇場で「勝負強さ」という名の、目に見えない力に姿を変える。

グラウンドに立つ前に、まず礼儀作法を身につけ、一人の人間としての質を高めなければならない。フィールドでのプレイというのは、結局のところ、その人間性が映し出された影絵なのだと、その重みのある声は教えてくれました。

この日は並行して練習試合も行われていました。

18.44メートル。マウンドからホームベースまでの、その厳格で、決して妥協を許さない距離。一日にどれだけの投球が投手の腕から放たれるのだろう。そして、空に描かれる完璧な放物線。先生がこの学校で指導に費やした日々は実に三十余年。その月日にボールが進んだ距離を想像してみる。おそらく地球を数周する距離。その気が遠くなるような長い長い道のりの全てを、先生はただひたすらに、グラウンドの隅から、熱い想いで見つめ続けてきたのでしょう。

講演の中で、赴任当時のエピソードも語ってくださいました。
部員がわずか4人しかいなかった頃のお話。廃部という静かな足音が、すぐそこまで近づいていた。それでも先生は、そして当時の四人の不器用な少年たちは、決してグラウンドから立ち去ろうとはしなかった。彼らは土にまみれながら、消え入りそうな小さな灯火を両手で覆うようにして守り、次の世代へと手渡していった。数年後、その細い糸が結実し、チームは甲子園という眩しい「夢の舞台」に、確かな「現実」として辿り着くことになる。

しかし、私たちが決して忘れてはならないのは、その栄光の背後には、存続さえ危ぶまれた暗闇の時代を泥臭く繋ぎ止めた、過去の部員たちの確かな体温が、今もこのグラウンドに存在するということです。あの時代の彼らがいたからこそ、今、こうして真新しいユニフォームを着てフィールドに立つことができ、そしてこのグラウンドに多くの人たちの歓声が響いているのです。

もうすぐ夏の熱さがやってきます。1994年の夏。あの甲子園を照らした太陽が、先生の訪れとともに再び帰ってきそうな、そんな予感がします。

この記事の最後に。
現監督のもとに集う、部員たちの姿です。

時代が変わっても、グラウンドに流れる時間は繋がっています。あのとき引き継がれた小さな灯は、やがて夏の日光のように眩しく、熱い「意志」となって、今のグラウンドにも息づいているのです。

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